コロコロ
ボンボン
ジャンプ
マガジン
スピリッツ
モーニング
僕が、これまで買って読んできて、
いつの間にか読むのを辞めてしまったマンガ雑誌。
最近、忙しくもないのに何か落ち着かないので、
マンガ雑誌でも始めてみようかと思い、
コンビニに行った。
最初、ビックコミックにしようかと思ったけど、
ビックコミックオリジナルにした。
家に置いててもエロいのがなくて安心やし、
月2回で丁度いい。
「でじごん」は、僕の高校のサッカーチームの時の友だちのあだ名。
高校のサッカーチームと書いたのは、僕は通っていた高校のサッカー部がいろんな意味で厳しくて、直ぐにケツを割って地域のサッカーチームに入っていたから。
サッカーチームのあった場所が尼崎ということもあって、シンナーを吸って、原チャでバリバリいわして練習に来る子もいたけど、そんな子に限って、みんなドリブルが上手かった。マラドーナもコカインをやっていたから、薬物はドリブルに何かいい影響があるのかもしれない。(ある訳ない)
放課後の夕方6時から練習が始まるので、終わったらいつも夜の8時ぐらい。
そこから家まで電車で1時間はかかったので、いつもクラブハウスでシャワーを浴びてから帰っていた。
その日も練習後にシャワーを浴びていて、今と変わらず、お風呂に入ると急に尿意を催す僕は、シャワールームに誰もいないことをいいことに、シャワーを浴びながら用を足していた。すると急に更衣室の方から音がしたので、僕は、まだ終わらないおしっこに最大限の圧力をかけラストスパートし、何とか人が入ってくる前にコトを済ませた。後から何も知らずに入ってきたでじごんが、「くっさっっ」と言って、顔をひん曲げるまで10秒とかからなかった。
そんなこともあってか今、でじごんの子どもとうちの子は、同じ幼稚園に通っている。
今年も夏が終わった。
去年の夏に買ったポケットTシャツの4色セットで、
今年の夏を通した。
白は、去年に黄ばんでしまったので、
正確には3色をローテーションで過ごした。
中2日の登板でみんなボロボロになってしまった。
おつかれさまでした。
お昼前、家の中で三男が
「くも、くも」と言っていた。
うちには、たくさんのクモが住んでいるので「そうか」と返事してほって置いたが、
あまりにひつこく言っているので見に行くと、タンスの下に「こおろぎ」がいた。
三男は虫のことを全部「くも」と呼んでいる。
夜、寝る前に水を飲もうとキッチンに行くと、明らかに部屋の中で鳴いている虫の声が部屋中に響きわたっていた。これは昼間のくもだなと思った。
早めに家を出ればいいのは分かっている。
準備をしてからダラダラすればいいのも分かっている。
嫁さんは10年以上、仕事に行く前の僕に注意をしてくれているが、僕が分かっていて出来ないことに気がついているのだろうか?
家から駅まで歩いて10分。
電車が出る8分前に出ると、
当たり前やけど2分足りない。
どこかでこの2分を取り返さなくては、
電車に間に合わない。
僕は冷静になって考える。
その時の僕の頭は「スーパーコンピューター健」。
急いで歩くか or ゆっくり走るか。
スーパーコンピューター健は、あらゆるデータを駆使し、
「イソイデアルク」と答えを出した。
ピコピコ、正解。
「ハシルト エキマデ モタナイ」。
オフコース、コンピューター。
歩くコース採りに無駄はない。
スーパーマーケットの前から、駅に向かうカーブを早歩きする僕は、
「ユー セナ!ユー セナ!」
オッケー!マイ コンピューター。
今日も何とか電車に間に合った。
最後ちょっと走ったけど。
Nから貰った仕事にいく。
Nは、僕より10ほど若いが、ロンドンの留学時からの友だちで、今は広告の制作会社で働いている。
やらしい話、広告の仕事の相場は、雑誌とかWEBの仕事とは桁が違うので、
「けんさん、めっちゃ安い仕事ですけどやりますか?」
とNは言ってくるが、僕にとっては全然安くない。
なので僕は、
「安くて誰もやりたがらないような仕事があったら、全部こっちに回してくれ」
とNに言ってある。
そうすると、メインの写真なり動画は、イケてるカメラマンが撮るけど、カット数が多くて、そのカメラマンの手が回らないようなサブカットを僕が撮るという仕事をくれる。
僕の捨てても捨てても、どこかに潜んでいるプライドが少しヒリヒリしたり、サブである気楽さに安住している自分に大丈夫か?とヒヤヒヤしたりもするが、嫁さん子どもを飢えさせてはいけないという言い訳を盾にしっかと前を向く。
朝、沢山のスタッフがみんな集まって挨拶し合っている。僕が、「動画の機材ってデカイな」とか呑気思ってるとNが、「けんさん、チャック開いてますよ」と言ってきた。チャックは、少し空いてたどころではなく全開だった。僕は焦って、「みんなの中にサッと入っていこうと思って」と言って返したが、その返しが上手くもなく、全く面白くなく、この状況をもっと痛々しい方に推し進めたことは、自分が一番わかっていた。
最初に躓いて、もう帰りたい気分になったけど、「チャック開いてて帰った45歳のおっさん」は、伝説になり得るので踏ん張る。
その後、一生懸命写真を撮ってたら、やっぱり写真を撮るのが好きやし、みんないい人やったし、もちろん帰らなくてよかった。