なにかブログ書こうと思ったけど何も思いつかん。
親として
もうすぐ14時、あと30分で小一の真ん中の子が帰ってくるだろう。家の前の坂道を走って、汗をかきかき帰ってるだろう。ただいまも言わずにトイレに入るだろう。あの子は学校で読み書きを覚えたり、給食をお代わりしたり、多分その他、色んなことを経験して帰ってくるだろう。
で、あの子が朝に家を出てから僕は何してただろう。
朝ドラみて、朝飯食べ、世界のサッカーをネットでチェックし、ラジコで聞き逃した「久米宏のラジオなんです」を聴きながら、だらだらと仕事のメールを返し、ボタンダウンシャツが欲しいなと思って、どこのサイトが安く買えるかをリサーチし、コーヒーを淹れ、昼に昨晩の残りの焼きそばに卵、かつお節をトッピングして食べ、テレビに出てた西川きよしの司会のたどたどしさに好感を持ち、メルカリで買ったカメラを宅急便で受け取り、チェックし、1600円でいい買い物をしたなと思った。
だけだろう。まいった。
パンクロックが好きだ3
やっと2曲だけ弾けるようになったNと僕で、
そろそろボーカルとドラムを入れてみようという事になった。
ボーカルは、家がスナックをやっていて歌がうまいSにして、ドラムはリズム感良さそうだしHがいいだろう。という事になった。
ふたりとも快諾してくれたが、Sが「長渕かサザンにしてや」と言ってきた。サザンはまだバンドだけど難しそうだし、長渕はもうバンドでもない。僕らは納得のいかないSを何とか丸め込み、最終的にブルーハーツをする事で収まった。
「遠里小野ボウル」という大和川をこえたとこにあるボーリング場の、卓球台スペースのまたさらに奥の暗がりにある、コンテナのようなスタジオに4人で行った。
Nと僕は、初めてつなぐアンプを通した大音量に感動した。それにHのドラムは初めてとは思えないぐらい上手かった。で、Sのボーカルだった。確かに上手い。でも小学生の時から石原裕次郎の「ブランデーグラス」や、杉良太郎の「すきま風」を十八番にもつ彼の歌唱法は、パンクロックにしてはあまりにも艶っぽく、こぶしが効きすぎていた。僕らはSにもう少し普通に歌ってくれるように頼んだが、Sは、僕らの言うロック的なカッコよさが何のことかさっぱり理解できないようだったし、スナック仕込みの癖は、どうあがいても抜けそうになかったので諦める事にした。
その後、大した活動もせず、みんな高校が別になって、こぶしの効いたパンクバンド「The ナイフィー」の活動は休止になった。
その後、Nだけは軽音部に入りZiggyのコピーバンドなんかしていたが、僕は高校でサッカー漬けになり、Hは工業高校で自動車部。Sは、高校を三ヶ月で卒業し、酒屋で働いていた。
その後、Sに親のツテで、演歌歌手デビュー出来るチャンスが舞い込んだ。「先生」と呼ばれる人に曲を作ってもらい、とうとうデビューが近ずいたある日、Sは「俺、やっぱりBzみたいなんがしたいねん」と親に駄々をこね出し、演歌歌手デビューのチャンスは泡と散った。
おっさんになって、みんなで集まって飲んでいると、「あん時、演歌歌手やっときゃよかったな」とぼやくSが、カラオケで聞かせてくれるBzの『ウルトラソウル』は、かなりこぶしが効いていて、ある意味すごくパンクだ。
おわり
ここは外国
マラウイに行く為のビザを取りに、目黒にあるマラウイ大使館に行く。大使館は、ドミノピザが一階にあるビルの7階。「ワンフロアか」と思ったが、エチオピア大使館も下の階にあって、そちらもワンフロア。ピザorビザのビル。
ピンポン押して入ると、「ハーワーユー?」と受付の女性が迎えてくれた。「大使館て英語か?」と当たり前のことに気づく。受け付けの人は、僕がビザを作りに来たのを知ると、申し訳なさそうに担当の人が今日はいないと言った。ここは外国である。既に日本の常識は通用しない。ので大人しく帰るしかない。
次の日。また大使館に来てみると、ビザ専門の女性の人がいた。一切笑顔がないが、ここは外国である。それに日本には作り笑顔が蔓延しているので、こっちの方が自然でもある。親切に色々教えてくれて、ビザのお金を払った。「スモールチェンジ?」とビザの人が聞いてきたが、小銭がなかった。「オーケー、私が払っとくわ」と言って10円払ってくれた。やっぱりここは外国である。
パンクロックが好きだ2
それからも僕とN君は、先輩の家に通った。
ビビリの僕は、なぜか正座でベースを習っていた。その様子は、全然ロックではなく、お師匠さんに三味線を習ってるようだった。
先輩に粗方一通り教わってからは、放課後どちらかの家に集まって練習していた。でも、親には内緒でロックしていたので、エレキなのにアンプに繋がず練習をしていたが、テープに合わせてシャカシャカという音を出しているだけでも、それなりに楽しかった。
もうその頃になると、僕たちは、当初のThe アルフィーのコピーバンドをするという計画をすっかり忘れて、しっかりブルーハーツしていた。
いいかげんテープに合わせるのにも飽きたので、交代で歌いながら演奏し始めたが、人前で歌うのが恥ずかしかった(Nしかいないが)。特にラブソングは、お互いにまだ女の子とキスしたこともないチェリーボーイズだったので、自動的に声のボリュームが小さくなった。
そんな感じで始まった僕たちのバンド活動だったけど、パンクロックすればするほど、「どうも自分達には、社会や大人や他の何に対しても、特に言うべき不満も主張もない」という自分たちの平凡さに気づきだした。それはパンクロックにおいて、根本的な致命的欠陥に違いない、とその時は思っていた。こんな僕らが、パンクロックしてていいのかなと後ろめたい気持ちを抱きながら、シャカシャカとギターを鳴らしては、恥ずかしそうに歌っていた。
つづく
新しい毎日を
昨日から副鼻腔炎ではなく、脇腹をピリピリと激痛が一定間隔でおそってくる。僕が、悶絶していると子どもが、「パパ、うんちじゃない?」と聞いてくる。腹痛の殆どがうんちに関係している元気な内臓の君たちと違って、こちらの内臓は築45年。そんなに単純ではない。昨晩はなかなか眠れず、今朝、近くにあるペインクリニックと謳う病院に行った。先生が、坊主頭にビーチサンダル、前衛ジャズピアニストみたいにパソコンのキーボードを叩いていた。この人に、僕の痛みを任せていいのか?不安しかない。帰りのバス、前に座ってたおじいさんの持つビニール袋の中に、フライパンと野菜と肉が入ってた。一人暮らしを始めたワンルームに帰るようには見えないが、新しい毎日を感じる。