僕の母は、「スイッチヒッター」だった。
高校生の時、ソフトボール部で国体に出たこともあった。
「わて、足早かったから、高校のソフト(ボール)の監督が、「加瀬は足早いから左打ちに変えろ」言われてな、ほんで左打ちの練習して、左やと一塁まで一歩近いやろ、それで一番バッターや、すぐ塁でたんねん、うちの高校の3番4番が上手でな、バーンて打つやろ、わて一塁からサーっ走って、ホームまでバーと帰ってきて、直ぐ一点や、おもろかったわ。でも今は、リュウマチなってもてほんまあかんわー、これも父ちゃんがな、」
と、母の青春時代の思い出は、いつも持病のリュウマチの話を経由して、最後は父の文句になって話が終わっていた。