俺のイタリア

イタリアに行ったことのない男の日常

パンクロックが好きだ3

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やっと2曲だけ弾けるようになったNと僕で、

そろそろボーカルとドラムを入れてみようという事になった。

ボーカルは、家がスナックをやっていて歌がうまいSにして、ドラムはリズム感良さそうだしHがいいだろう。という事になった。

ふたりとも快諾してくれたが、Sが「長渕かサザンにしてや」と言ってきた。サザンはまだバンドだけど難しそうだし、長渕はもうバンドでもない。僕らは納得のいかないSを何とか丸め込み、最終的にブルーハーツをする事で収まった。

遠里小野ボウル」という大和川をこえたとこにあるボーリング場の、卓球台スペースのまたさらに奥の暗がりにある、コンテナのようなスタジオに4人で行った。

Nと僕は、初めてつなぐアンプを通した大音量に感動した。それにHのドラムは初めてとは思えないぐらい上手かった。で、Sのボーカルだった。確かに上手い。でも小学生の時から石原裕次郎の「ブランデーグラス」や、杉良太郎の「すきま風」を十八番にもつ彼の歌唱法は、パンクロックにしてはあまりにも艶っぽく、こぶしが効きすぎていた。僕らはSにもう少し普通に歌ってくれるように頼んだが、Sは、僕らの言うロック的なカッコよさが何のことかさっぱり理解できないようだったし、スナック仕込みの癖は、どうあがいても抜けそうになかったので諦める事にした。

 

その後、大した活動もせず、みんな高校が別になって、こぶしの効いたパンクバンド「The ナイフィー」の活動は休止になった。

その後、Nだけは軽音部に入りZiggyコピーバンドなんかしていたが、僕は高校でサッカー漬けになり、Hは工業高校で自動車部。Sは、高校を三ヶ月で卒業し、酒屋で働いていた。

 

その後、Sに親のツテで、演歌歌手デビュー出来るチャンスが舞い込んだ。「先生」と呼ばれる人に曲を作ってもらい、とうとうデビューが近ずいたある日、Sは「俺、やっぱりBzみたいなんがしたいねん」と親に駄々をこね出し、演歌歌手デビューのチャンスは泡と散った。

おっさんになって、みんなで集まって飲んでいると、「あん時、演歌歌手やっときゃよかったな」とぼやくSが、カラオケで聞かせてくれるBzの『ウルトラソウル』は、かなりこぶしが効いていて、ある意味すごくパンクだ。

 

おわり