それからも僕とN君は、先輩の家に通った。
ビビリの僕は、なぜか正座でベースを習っていた。その様子は、全然ロックではなく、お師匠さんに三味線を習ってるようだった。
先輩に粗方一通り教わってからは、放課後どちらかの家に集まって練習していた。でも、親には内緒でロックしていたので、エレキなのにアンプに繋がず練習をしていたが、テープに合わせてシャカシャカという音を出しているだけでも、それなりに楽しかった。
もうその頃になると、僕たちは、当初のThe アルフィーのコピーバンドをするという計画をすっかり忘れて、しっかりブルーハーツしていた。
いいかげんテープに合わせるのにも飽きたので、交代で歌いながら演奏し始めたが、人前で歌うのが恥ずかしかった(Nしかいないが)。特にラブソングは、お互いにまだ女の子とキスしたこともないチェリーボーイズだったので、自動的に声のボリュームが小さくなった。
そんな感じで始まった僕たちのバンド活動だったけど、パンクロックすればするほど、「どうも自分達には、社会や大人や他の何に対しても、特に言うべき不満も主張もない」という自分たちの平凡さに気づきだした。それはパンクロックにおいて、根本的な致命的欠陥に違いない、とその時は思っていた。こんな僕らが、パンクロックしてていいのかなと後ろめたい気持ちを抱きながら、シャカシャカとギターを鳴らしては、恥ずかしそうに歌っていた。
つづく